城東高校・徳島市立高校理数科
県立上位高校(城南・城ノ内・徳島北高)
受験專門塾
碩学ゼミナールの衣笠です。
6月1日より、谷村 景貴先生が正社員として入社されました
【谷村先生の経歴】
高知医科大学(現高知大学)医学部医学科現役合格
入学・退学
⇒東京都立大学理学部化学科入学・卒業
東京都立大学大学院理学研究科科学専攻修士課程入学・終了
首都大学(現東京都立大学)大学院理学研究科化学専攻
博士課程入学・終了
【2010年3月25日理学博士号取得】
2010年4月お茶の水女子大学理学部化学科教育研究協力員
2011年4月東京大学生産技術研究所特任研究員
2013年4月から2022年3月まで
東洋大学理学部応用化学科講師
(2018年4月より 東京工科大学工学部電気電子工学科研究員兼務)
(大学生を指導する傍ら、11年間学習塾で生徒指導にも従事。
小学・中学・高校生への豊富な指導経験あり)
2024年6月碩学ゼミナール(碩学館)に正社員として入社
現在は、小学・中学・高校生の指導を担当
将来的には高校部の専属講師なる予定
その谷村先生に衣笠が尊敬する向山洋一先生の「教師修行十年」を読んで、感想を
書いてもらいましたので紹介します。
向山洋一「教師修行十年」の感想文
谷村 景貴
2024年5月31日
著者の向山洋一先生のことは寡聞にして知りませんでしたが、「「学級崩壊」「モンスターピアレント」といった言葉を生み出した有名な教育者だそうです。
「教師修行十年」は、向山先生が自身の教師としての初任から10年間の経験と学びを綴った一冊です。以下にその感想を述べます。
この本は、向山先生が教師としての初めての10年間を振り返り、その中で得た教訓と経験を共有しています。向山先生の教育への情熱と献身性が、彼の言葉から強く感じられます。彼は、教師が子供たちに与える影響の大きさと、その責任を深く理解しています。
向山先生は、教師が生徒に対して持つべき姿勢や、教育の本質についての洞察に満ちた視点を提供しています。彼は、教師がただ知識を伝えるだけでなく、生徒が自分自身で考え、学び、成長する力を育てるべきだと強調しています。また、向山先生は、教師自身が絶えず学び続けることの重要性を説いています。
この本は、教師だけでなく、教育に関心のあるすべての人々にとって、非常に有益で刺激的な読み物です。向山先生の経験と洞察は、教育の現場で直面する課題や困難についての理解を深めるのに役立ちます。また、教育現場での実践を通じて培った知識と経験は非常に示唆に富んでいます。
本書は多くのエピソードが紹介されています。これらのエピソードは、向山先生が教師としての道を歩む中で直面した様々な課題や困難、そしてそれをどのように乗り越えてきたかを具体的に描いています。
これらのエピソードを通じて、向山先生の教育への深い洞察と情熱が伝わってきます。また、向山先生の実践、学級通信、子供の日記、父兄からの手紙など、さまざまな資料も掲載されています。これらは、向山先生の教育実践の具体的な様子をより深く理解するための貴重な情報源となっています。
ここで、印象に残ったいくつかのトピックについて述べます。
「日曜だけが好き」だった子:
向山先生が特定の生徒との関わりを通じて、その生徒が学校生活に対して抱いていた感情
や問題にどのように対処したかについてのエピソードです。途中、生徒にした3つの話というのが興味深いです。
1. どのような科学であれ芸術であれ、失敗の連続の中から創られてきたこと、失敗こそ、まちがいこそ、人類を高めてきた要因であること。
2. 人間の可能性。どの人間でも、かくれた才能と可能性を持っていること、そして資質、才能は知識を獲得する早さで競争してはいけないこと。自分を馬鹿だとか、自分は駄目だとかいう必要はない。そんなことは自分が死ぬ時に考えればよく、生きているうちは、一歩でも二歩でも前進することを考える。
3. 教室目標として次のことをかかげた。
教室とは、まちがいを正し真実をみつけ出す場だ。
教室は、まちがいをする子のためにこそある。
教室には、間違いを恐れる子は必要ではない。
間違いを犯すことを恐れる必要はなく、いろんなことにチャレンジするべきだという勇気をもらえる話だと思います。研究者としての自分のことを顧みても、ほとんどの研究は失敗だし間違っていました。私だけではなく、みんなそうです。それで挫けていたら私は博士号を取れなかったと思います。
「台形の面積を五通りの方法で出しなさい」:
向山先生が生徒に対して課した数学の問題と、その問題を通じて生徒たちがどのように考え、学んだかについてのエピソードです。答えは学校で習ったことだけではないこと、また、答えは一つではなく複数存在すること、を示す良い例だと思います。塾教師の立場から言っても、別解を考えることは非常に勉強になります。ただ、現在の中高生は忙しく、勉強時間も限られているため、別解を考える余裕が持てないのは残念です。
教師と問題児:
この節で述べられる登校拒否児との壮絶な戦いは、この問題がそんなに簡単ではないことを示唆しています。
私も学校は大嫌いでした。幼稚園と大学「 大学院はそれほど嫌いというわけではありませんでしたが、小学校「 中学校「 高校は苦手でした。運よく「 というべきでしょう)登校拒否にはなりませんでしたが、休みの多い学生だったと思います。
「登校拒否」はなくなりません。集団行動になじめない人間は必ず一定数存在します。登校拒否児を学校に行かせることより、学校に行かなくてもよい、それが受容される社会構造にすべきです。学校から逃げるための「学校シェルター」を作るべきです。現在では保健室がその役割を担っているようです。
私は塾が「学校シェルター」として存在することを望んでいます。登校拒否の生徒
が学校には行けないけど、塾には通うことができる、学校は嫌いだけど塾は好き、塾がそんな場所であってほしいと願っています。
最後に少し批判的な面から本書を見てみます。
向山先生の教育法は「できない子」を「できる子」にするとき絶大な力を発揮します。しかし、生徒にはもともと「できる子」も多くいます。向山先生の教育法は「できる子」を「もっとできる子」にするという点については、不足しているように思えます。クラスのみんなを「できる子」にするだけでは、平均点は上昇しても、さらに上を目指すという視点が欠けているのではないでしょうか?
そして、平均的な生徒が増え、運動会で徒競走を中止するといった、競争を排除した教育になっていくのではないか。我々が生きている現代社会は、なんだかんだ言っても、やはり競争社会です。競争に勝ち抜いていく人間を育成するのも学校教育の大切な役目です。向山教育の行きつく果ては、低い能力の人間は少ないが、突出して高い能力の人間もいない、平板とした社会になるのではないか、という危惧をやや覚えます。
また、P.24に以下のような記述があります。
ぼくは「仲良くしなさい」とか、「いじめちゃだめだ」とかいう話をしたことがない。そんなことを百回言うより、いじめられている子の力を伸ばし、いじめている子の考え方をきたえていった方がいいからだ。みんなの力が伸びているという事実が、子どもを変えていくのだ。
少し理想論的すぎないだろうか。私の経験から言って、いじめられる子はどこにいってもいじめられるし、いじめる子はどこにいってもいる。「校内カースト」はどの学校のどのクラスにも厳然と存在しており、それが覆ることはほとんどありえません。
いろいろ好き勝手に書きましたが、この本は、教師だけでなく、教育に関心のあるすべての人々にとって、非常に有益で刺激的な読み物です。それは、教育者だけでなく、私たち一人ひとりにとっての学びの旅における重要な一歩となるでしょう。
(了)
碩学ゼミナール塾長・衣笠 経歴
城西中学・城北高校・立命館大学経済学部卒 / 保険毎日新聞に記者として入社 / 帰省後、県内大手進学塾にて本部長・教務部長・校舎長、香川7校舎統括責任者。家族(嫁、長女、長男、母)をこよなく愛する。
毎日一人ひとり全員とあいさつをした後、父のお仏壇に手を合わせるのが日課。趣味は読書と野球観戦。好きな食べ物は辛口カレーライス。
元認定教育コーチ・青少年育成協会元研究員・子育てに関しての母親
セミナーも手がける。