城東高校・徳島市立高校理数科
県立上位高校(城南・城ノ内・徳島北高)
受験專門塾
碩学ゼミナールの衣笠です。
以前このブログで書いた、モンテッソーリー教育に関する話の続きです。
将棋の藤井聡太二冠やマーク・ザッカーバーク(フェイスブック創業者)やオバマ元アメリカ大統領が受けたというモンテッソーリー教育においては
子どもの人格や能力をほめない、努力の「過程」を褒めると書きました。
コロンビア大学の実験の結果(以前のブログで記載)から
人格や才能を褒めると失敗を恐れるようになり難しい問題にチャレンジしなくなり、失敗したときに嘘をつく割合も大幅に増加したという
驚きの結果も紹介しました。
そこで、ここでは親御さんが、しばしば子どもに対して言う
「お前は、本当は頭がいい(才能がある)やれば出来る子なんだから、もっと
頑張りなさい」という言葉について分析してみたいと思います。
この場合、親は
「頭がいい」と子どもの「才能」を褒めている。褒めた上で、
「もっと頑張りなさい」と言っているので、これは子どもへの励ましの言葉と考えていると考えられます。
ただ、一般的には「才能」は子供が自らつかみ取ったものではなく、親から受け継いだ、または何か別の力よって与えられたものと理解されていますし、子ども自身もそう思っています。
その上で
「頑張りなさい」と言うことは、親から才能を授けたのに、今の成績が悪いのは、お前(子ども)の「努力」が不足しているので、もっと「頑張りなさい」ということ。
つまり、子供を励ましているように感じられるこの言葉も、突き詰めて
こども目線で考えると、
自分(親)は「才能」を授けたのに、お前(子ども)の「努力」が足りないので
悪い成績となったという叱責の言葉としても読み取れます。
このことからもモンテッソーリー教育では、「才能」でなく「努力過程」を
ほめると言われています。
ここでまで読んできて、その内容に違和感を覚えた方は、ドラマなどで自信を無くした選手に、監督が「お前には才能がある!」と励まして、それを聞いた選手が立ち直っていくシーンが印象深く残っているのではないでしょうか。
確かにそういうイメージも強いとは思いますが、
これに対しては「教育に体罰は必要か?」と言う問題を例に解説してみたいと思います。
そこで、これをお読みの保護者の方に質問です。
「教育に体罰は必要だと思いますか?」
Aさん 体罰ですべてを解決しようというのは間違いだが、ゴクまれに愛情を込めての体罰は有効な場合もある。
Bさん 体罰は、どんな場合でも全て良くない
さてあなたはAさん、Bさんどちらに賛成ですか?
少し考えてみてください。
衣笠の場合は、30年前は、一部体罰を容認するAさんに賛同していましたが、
現在は、Aさんをハッキリと否定して、Bさんの考えと同じ体罰絶対反対派です。
その理由としては、教育学、心理学などを自分なりに学んでいった結果、体罰で
子どもに与える教育的効果、子どもを成長させるための働きかけのすべてを
「体罰無し」でできると確信したからです。現在は、体罰を使わない話し合いで全て解決できると強く信じています。
また、体罰は一つ間違えば、子どもの身体だけでなく、子どもの心も深く傷つけ
てしまいます。
これは医学的に有名な話ですが、体罰を受けて育った子供は、体罰を恨みながら
自分が親となって子育てをするときに、また自分の子どもに体罰をしてしまう。そしてそのことに深く苦しむと言われています
このことから
子どもの成長において、特別有効だともいえず、危険性だけが目立つ体罰は絶対に反対というのが衣笠の考えです。
これと似た理由で
子どもの「努力の過程」をほめると子どもは確実に今まで以上に頑張り成長する。だから
わざわざ誤解を与える危険性のある「才能」をほめる必要はないのではないか
と言うのが衣笠の理解した結論です。
上記内容は非常に理解しにくい部分も含んでいると考えています。
是非、反論、ご質問お寄せください。
大歓迎です。
必ず返信いたします。衣笠
碩学ゼミナール塾長・衣笠 経歴
城西中学・城北高校・立命館大学経済学部卒 / 保険毎日新聞に記者として入社 / 帰省後、県内大手進学塾にて本部長・教務部長・校舎長、香川7校舎統括責任者。家族(嫁、長女、長男、母)をこよなく愛する。
毎日一人ひとり全員とあいさつをした後、父のお仏壇に手を合わせるのが日課。趣味は読書と野球観戦。好きな食べ物は辛口カレーライス。
元認定教育コーチ・青少年育成協会元研究員・子育てに関しての母親
セミナーも手がける。