2017/05/18 (木) - ブログ

宇治、興福寺、東大寺 探訪記

 

   城東高校・徳島市立高校理数科

         県立上位高校(城南・城ノ内・徳島北高)

          受験專門塾

               碩学ゼミナールの衣笠です。

 

 

 宇治、興福寺、東大寺 探訪記

 

ゴールデンウイーク期間の5月2日~3日一泊二日の旅行をしました。

今回のお目当ては、興福寺の阿修羅像。国宝館が耐震補強工事により1年間の休館とのことで、西金堂内陣の宗教空間イメージを視覚化することを試みた天平乾漆群像展が開催されていました。

ただ、5月2日の夜の奈良のホテルは、1ヶ月前の段階で全て満室。そこで、京都の宇治の旅館に予約を入れました。

5月2日(火)当日、奥さんの午前中の仕事が終わるのを待って午後1時40分ころ自宅を出発。

ナビに行き先入力して、あとは案内のままに進んで、大きな渋滞もなく6時過ぎには予約した旅館に到着。

 

旅館は宇治川沿いで、平等院まで徒歩5分の京都情緒溢れる好立地。夕食後、宇治川の水量の豊かさを再発見しながら、奈良の仏像のカラー写真が掲載されたガイドブックを取り出し翌日の予定などしばしの歓談。特に京都を散策することなく初日は終了しました。

翌朝は、まずは歩いて平等院鳳凰堂へ。開門からあまり時間が経っていない時点で、鳳凰堂堂内部の見学は2時間待ちの表示。

これは、あきらめ不動堂、観音堂などを拝観しながら池越しに中島に建つ鳳凰堂を拝観しました。改修が行われた結果、二十数年前に訪れた時より遥かに国風の華やかさや香りが感じられた。ただ、ただ目の前の風景に身を任せ、池越しに建つ鳳凰堂を眺め時のままに、漂う空気とともに数分間、時を過ごす

その後、平等院ミュージアム鳳翔館を訪れ、国宝雲中供養菩薩像26躯などを

鑑賞後に奈良へ

 

意外に、渋滞もあり、移動に時間がかかり昼食後、興福寺に到着したのは午後1時過ぎになりました。ただ、興福寺では幸いにも20分程度の待ち時間で仮講堂の中に。「天平の文化空間の再構築」を推進したという堂内に一歩踏み入れると、阿修羅像はじめ阿弥陀如来像や八部衆像、十大弟子像など26点が、当時の資料に基づいて一同に展開されていました。以前はガラスケースに一体一体閉じ込められていた仏様が、まさに天平空間に躍り出ているように感じました。

実は、平等院を巡っていた後半あたりから、前回の訪問時とは全く違う理解しがたい感覚に囚われていました。胸が圧迫される。気持ちの深いところまで目の前の仏様が迫ってくる。理由はわかりません。

仮講堂で、厳かで華やかで、至高の天平の空間に

何かに酔ったような不思議な感覚を感じました

しばし流れを外れて、遠くから憂いをおびた凛々しい阿修羅像のお顔を拝見しながら、阿修羅像の仏様に

心の中で、少し語りかけて見ましたが返事はありません

ここでも、胸のそこに染み入る不思議なエネルギーを感じ、名残りを惜しみつつ

東大寺へ移動

奈良の大仏様は、本名、東大寺盧遮那仏(るしゃなぶつ)とも

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれます。

座高14.98メートル。その大きさと威厳に圧倒されました。

小学6年生の修学旅行を含めると4度目のご対面ですが、今回は

前回3回と違ったエネルギーを感じました。

聖武天皇が、「仏教の力で国家を守ろうと考え、地方には国ごとに国分寺と

国分尼寺を建て、都には大仏をまつる東大寺を立てました」(教育出版歴史

教科書より)。その頃の時代背景や空気を以前より、少しは理解した上での

再訪なので、以前より理解が深まったのかもしれません。

 

 

このあと、奈良国立博物館で開催されている、特別展「快慶」(日本人を魅了した仏のかたち)を訪れ、いまだに多くの謎に包まれた快慶の作品の数々と対面しました。

そして、午後6時前に帰路・徳島へ出発。車を運転している最中も心のどこかでは、ずっと、ずっと、今日、感じた以前の訪問時とは違った「感覚」の理由を探りつづけていました。

4時間弱の移動後、無事自宅へ到着。

 

自宅でくつろぎながら、今回の旅行を振り返っていたとき、ふと思いつきました。それは、今回の鳳凰堂や阿修羅像や奈良の大仏様とのご対面のとき、自分のこころが、自分自身が天平の世の「農民」の目線になっていたのではないかということ。

飢えと疫病に苦しみながら、税金を払うこともできず、夜逃げすることも

餓死することも当たり前の奈良時代。その時代、映画もCGも全く知らない人たちが、日々の暮らしにも苦しみぬいていたときに、こんな荘厳な寺社・仏像にお会いしたら、その当時の農民はどのような気持ちになるだろうか?どれだけの衝撃を受けるだろうか?

以前よりは、かなり専門的な時代の知識を学んだ現在、1300年の時を移動して、勝手に、自分の心を奈良時代の「農民」の心情に溶け込ませていたようでした。

そう言えば、小学6年の頃は、奈良の大仏の大きさを今の建物と比べていた記憶があります。今回は、この寺院・風景・仏様に初めて出会った当時の農民はどう感じたか、農民の心情が激しく胸に迫ってきました。

これまでの訪問は、現代人の視点から古都・奈良を眺める行為。 今回は、自らの視点が知らないあいだに、1300年前の奈良の農民に立って、奈良・平安の民に同化した旅

 

同じものを見ても、自分自身の知識・見識が増すことにより

ものの見え方自体が大きく変化するということを学び・体験した旅行になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

碩学ゼミナール塾長・衣笠 経歴

城西中学・城北高校・立命館大学経済学部卒 / 保険毎日新聞に記者として入社 / 帰省後、県内大手進学塾にて本部長・教務部長・校舎長、

香川7校舎統括責任者。家族(嫁、長女、長男、母)をこよなく愛する。

毎日一人ひとり全員とあいさつをした後、父のお仏壇に手を合わせるのが日課。趣味は読書と野球観戦。好きな食べ物は辛口カレーライス。

元認定教育コーチ・青少年育成協会元研究員・子育てに関しての母親

セミナーも手がける。

ぜひ碩学ゼミナールのHPもご覧下さい

 

 

—–