2019/12/17 (火) - ブログ

生徒を競わせるということ(幹部講師とのメール)

城東高校・徳島市立高校理数科
県立上位高校(城南・城ノ内・徳島北高)
受験專門塾
碩学ゼミナールの衣笠です。

 

碩学ゼミナールでは、授業後重要事項について
衣笠がメイン講師とメールで意見交換をすることがあります。
生徒を「競わせること」というテーマについて衣笠が
書いた文章が、碩学ゼミナールを理解していただくのに
役立つと考えます。(プライバシー保護のため)少し修正を加えてご紹介します。よろしかったら、時間のある時にでもお読みください

【メイン講師に送った衣笠のメール】

(略)
競って相手に勝ったりさせるのは何のためですか?

何が目的で競わすのですか?

競わす環境を作り競争を煽るのは指導者(リーダー)です
何のために競うのですか?

勝つためですか

もちろん競うのですから勝つために努力するのです

しかし、それが目的のすべてではありません

目的のほんの一部です。

(このあたりM先生のメール内容に近いです)

では
競い合う本当の目的は何だと考えますか?

衣笠の考えは
競い合うことによって
「努力の大切さ」に気づくことが、その一番大きな目的だと考えます。
そして、その結果本当の「 敵 」は相手ではなく、「自分自身」の中にいるということにも気づかせてあげられる講師が一流です。

指導者は、ここまで考え抜いて生徒を競わさないと
生徒を潰しかねません。

(略)

「ビジネス」と「講師の名誉」と「生徒を大切に考えているという気持ち」、多くの場合、相反して矛盾するこの気持ちの一致点を考え抜かなければなりません。
それが今回の場合の衣笠の行動でした。

(略)
競わせるというのは、ある意味負けを
体験させるということです。ただし、講師の考えがそこで止まっていてはいけません。
競って負けたとき、負けた生徒が自信を無くさないようにフォローしなければなりません。もし自信を無くしても、その自信を無くした生徒に寄り添い、復活への計画を一緒に立てる手伝いをしてあげなければなりません。負けた生徒に満足した「未来」を見せてあげなくてはいけません。
復活させてあげる自信がないなら、講師は、安易に生徒を競わせるべきではないとさえ思います。
(ここらあたりの内容は、M先生のメールの内容に近いと思います)

例えば、何年か前に、優秀ですが入塾時期が極端に遅く
第一志望校を諦めなければならなかった生徒がいました。
本人は悔しい思いをしたと思いますが、
同時に受験する(第二志望の)高校に「希望」を与えなければなりませんでした。
受験する高校に夢を描けなければ、点数的には絶対落ちるはずのない高校でも「不合格」になる危険度は格段に増します。
そこで衣笠は、高校入試の指導の際に、その生徒には3年2か月後の大学受験のことを、大学受験の目標を3年2カ月かけて達成することを、繰り返し説きました。
その生徒の現在の様子を知ると、これは正解だったと思います。

最後に
競わせて負けたときに、目標に対して
その負けた生徒の「才能」が不足していたことが分かった場合はどうでしょうか?

その時は
その生徒の「才能」に見合う「努力する」価値のある目標を
抱かせてあげることが担当講師の仕事です。これは、そんなに簡単なことではありません。その負けた生徒のために担当講師が本気で「自分の力量」を伸ばす努力をしなければなりません。
その覚悟がなければ
安易に生徒を競わせるだけで、結果をだそうとするべきではありません。
しかし、
結果を出せない講師は「プロ」失格です。
つまりは
どんなに実績があっても学び続けることを、強く要求されるのが講師としての職業の宿命だと考えます。

いかがでしょうか?

衣笠

 

 

 

 

松茂町のM様
何度もメールしていますが
届いていないようです
お電話ください
衣笠

 

 

 

碩学ゼミナール塾長・衣笠 経歴
城西中学・城北高校・立命館大学経済学部卒 / 保険毎日新聞に記者として入社 / 帰省後、県内大手進学塾にて本部長・教務部長・校舎長、
香川7校舎統括責任者。家族(嫁、長女、長男、母)をこよなく愛する。
毎日一人ひとり全員とあいさつをした後、父のお仏壇に手を合わせるのが日課。趣味は読書と野球観戦。好きな食べ物は辛口カレーライス。
元認定教育コーチ・青少年育成協会元研究員・子育てに関しての母親
セミナーも手がける。